久しぶりだけどね

先日のマニアック京都結成21周年企画ライブ「レムリアの年月」の興奮も冷めやらぬ中ですが、お知らせです。新しいCD「羊だけどね」絶賛発売中!

 

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収録曲

1.羊だけどね

2.飛行船

3.ピアニコ

1,000円(税込)

いい感じの出来になっているので、ぜひみんなに聴いてもらいたいな!

そんなマニアック京都のCDはライブ会場で購入できます。次は2017/1/13@吉祥寺MANDA-LA2にてカゲルの企画「影ル夜 vol.5」に出演しますので、そちらでお買い求めいただけます!

 

21周年企画の振り返りレポートもせずに音源の宣伝に終始してていいのか!? まあ、そのうちだれかがきっと書いてくれるはず!

ベースの人

マニアック京都史学史

遠い昔、
ニホンという國で戦争がありました。
10年以上も続きました。
ニホンは、物資不足を植民地支配で補い
戦力を、徴兵制度で補いました。
ニホンは、アメリカとフランスとイギリスという國と戦っていました。
圧倒的な戦力を武器にした連合國との戦いに、
精神も物資もギリギリになっていました。
空から多数の焼夷弾が雨のように降ってきて、
一般市民も多数犠牲になりました。
「果たして?この戦争は必要なのか?」
と、疑問に感じる人たちもいましたが、
軍の命令に背くわけにはいきません。
そのため、力のない女の人、子供、老人は次々に死んでいきました。
そして、大人ではなく、大学生が徴兵される
学徒動員も始まり、
戦争は悪化の一途をたどっていきました。
そして、その日は来ました。
場所はヒロシマというところ。
8月の暑い日、
戦時中であるが、街の人たちは
普段通りの生活をしていました。
そんな時、
急に空が光りました。
その瞬間、とんでもない爆発が起こり
街にいた人は爆風や熱風で、
一瞬にして死にました。
原爆が落とされたのです。
何十万人も死にました。
そんな中、ある一家は被災地より少し遠いところに住んでましたが、
もう街には住めなくなったので、引越しをすることになりました。
場所は比較的被災の少なかった京都。
その年、戦争が終わりました。

その家族の長女は、
すくすく成長し、中学生の時に
叔父からもらったアコースティックギターにハマり
高校になると、フォークソング部に入り
自作の曲などを作るようになる。
その後、バンドを作り、オリジナル楽曲の制作に取り組んでゆくようになりました。

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マニアック京都は
下京区周辺で路上ライブを行っていた。

1965年8月に自主制作シングル「トマト畑で」でデビュー
その後、12月にも自主制作シングル「終わらない一日」を発売。
翌年は路上ライブを年に200本行うなど、積極的な活動を行っていた。
しかし、その後1968年以降は、
全共闘運動など、ニホン各地でデモや学生運動が活発化し、
メンバーも活動家になるものや思想家になるものが出てきたため、活動休止を余儀なくされた。

学生運動が沈静化し、世間では四畳半フォークが流行りだした頃、
マニアック京都はメンバーチェンジをし、再始動する。
1973年当時、出来たばかりの「京都 拾得」に月一で出演し始める。
その年の9月にURCに加入し、
3枚目のシングル「アフリカ象」をリリース。
12月には早くも4枚目のシングル「神様の夏休み」をリリース。
ライブ活動も頻繁に行い、動員数も増えていった。
この頃が絶頂期といえよう。

その後は、メンバーチェンジを繰り返しながら、マイペースな活動に移る。

ベルウッドレコードからの唯一のLPである5枚目のシングル「水たまり」をリリース。
その後はフリーになり、
自主レーベル「マニアックレコード」を設立。

1979年3月には、レーベル初となるシングル
「ピアニコ」をリリース。
わずか500枚という少ロットの制作であったが、発売3日で完売し、現在は廃盤となっている。
※この曲は、元々戦前からの童謡だったものを、マニアック京都なりにアレンジし、戦争色を消しているとも言われている。
また、差別的な内容の歌詞だったため、
それをメンバーが嫌がり
その用語の部分を「ピアニコ」という造語に変えた。という説もある。

彼女らはニューフォークなどと呼ばれていたが、メンバーたちはそれに共感は出来なかった。
「自分たちは、唯一有無の存在」と自負しており、ジャンルレスをアピールしていた。

6月にシングル「名なしの子守歌」
7月にシングル「飛行船」
8月にシングル「ケメケソ」
を連続リリース。
ファンの間では、この連続リリースを
「三ヶ月大戦」と呼ばれている。
理由としては、三曲とも戦争を彷彿とさせる作品が続いたからだ。
名なしの子守歌は、戦争当時の人民の気持ちを歌っているのではないか?
飛行船は、ヒロシマ原爆の事を歌っているのではないか?
ケメケソは、戦後に流行った歌をパロディーにして歌っているのではないか?
としている。
歌っているのではないか?と記したのは、
彼女ら(マニアック京都)の歌の内容については、謎が多く、
また本人たちも「特に意味はない」と語っているからである。
この、所謂「三ヶ月大戦」は、その難解な歌詞と戦争を彷彿とさせる内容から都市伝説化し、
「反戦のマニ京」と呼ばれた時期もあったという。
人々の喪失感を歌ったこの三曲だけは、
他の作品と比べると独特な仕上がりになっている。

そして、「ケメケソ」を以って、マニアック京都は無期限の活動休止に入る。
理由は「修行がしたい」とのことだった。
折しも、その当時のニホンでは、フォークやGSといった類の音楽が衰退していく中、
アイドルや歌謡曲、パンクやニューウェーブなどが出てきた頃である。

そして、1989年
当時はバンドブーム真っ只中。
そんな中、突如として再びマニアック京都が現れる。
特に大々的な告知もなく、
吉祥寺MANDA-LA2にてライブを行い
MCで新作を出すことを発表。

その年の9月にいぬん堂から
シングル「名前をつけてくれc/w街燈」をリリース。
しかし、リリースして間もなく
マニアック京都は、再び活動を休止。

のちに、この当時のことをメンバーは
「特に意味はない。なんとなくやろうかって。」と話したことが、ある音楽雑誌のすみに掲載していた。

翌年1990年3月に、過去のLPシングルと未発表音源をリマスターした初アルバム
「マニアック京都旅行」をリリース。
(未発表ボーナストラックは、エスカレーター、かえるのうた、ラスベガス、ピアニコ(初期歌詞違いバージョン)
※これも、すでに廃盤

その後は、メンバーチェンジをしながら
不定期に活動や休止を繰り返し、今日に至る。

私としては、今年あたりに新作のリリースをしていただきたいと思ってるが、
マニアック京都のことだから、いつになることやら。
首を長くして待つことにしよう。

1994年 石井裕倫 記

ケメケソ

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ケメケソ ケメケソ
どうしてこんなにかなしくなるのかな
ケメケソ ケメケソ
どうしてこんなにうれしくなるのかな

雑草生い茂るクニノキ林で今夜はごちそうだ
遠くの町からお祭り囃子が風に運ばれてくる

だけどケメケソ 邪魔はしないよ
思うがままに生きればいいさ
だからケメケソ 怖がらないで
僕の前から消え去らないで

ススキをかき分けて辿り着いた淵辺 葬列は続いてゆくよ
満月が落とした小さな波紋は風の中に消えた

やがて時間は流れ流れて
ぼくが言葉を失うときは
きっとケメケソ お話ししよう
千の言葉でお話ししよう

ケメケソ ケメケソ
いつかぼくらがもう一度出会えたら
ケメケソ ケメケソ
いつかぼくらは友だちになれるかな

(作詩作曲:かめ 編曲:マニアック京都)

名なしの子守歌

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(出典:wikipedia)

名なしの子供に安らぎの子守歌
耳塞ぎ交わした満月の夜の約束

まぶたを閉じれば砂漠の扉
天使と悪魔とぼくと織り成す夢物語

切符手にし笑顔で待ちぼうけの夕焼け
一人気にしてる取り残された三日月

鏡の向こうの時間の扉
天使の悪魔のぼくの織り成す夢物語

手のひらは大地に歴史を描いた
くるくる回るぼくを見つけてくれますか

かさぶたをいじるぼくを許してくれますか
うつぶせで眠るぼくを抱きしめてくれますか
はちみつをなめるぼくを慰めてくれますか
雨の日生まれたぼくを覚えててくれますか

(作詩作曲:かめ 編曲:マニアック京都)

エスカレーター

人がいるエスカレーター

あたふた にゃろめ よろめいた
誰かが手を貸すこともなし
はてさて 上辺 繕った
誰かが認めることもなし

今ベルが鳴り響き
危険注意してね
眠いまぶた重く
暮らし楽にならん
並んで行列になれ
なれるか鋼鉄心
信じれる?

エスカレーター

いらない
人並外れた自尊心
誰もぼくのこと傷つけない
いらない
膨らんでく優越感
誰もきみのこと傷つけない

今ベルが鳴り響き
きみは先に行けよ
世の中井の中は
蛙たちの領域
勢い勇み足
痺れ切らす
ラストワン
ワンダホー
ホープフル?

エスカレーター

(作詩作曲:かめ 編曲:マニアック京都)

羊だけどね

羊1

手に手を取ってお入りなさい
迷いさまよい今宵集いし子羊たちよ
野風にさらわれる毛糸玉
思い思われふるふりふられ さあ逃げ出すぞ

国は滅びても歌は歌い継がれ
大洋に沈んでいくレムリアの年月
踊るなら踊りたいように踊れ
人知れず瞬く星屑飲み干して

押し合いへし合いの背比べ
日暮れ石塊つと袖時雨 群れは孤独だ
なまけてばかりいてごめんなさい
はぐれ気まぐれ周回遅れ さあ走り出せ

国は滅びても歌は歌い継がれ
さっきまで泣いていたのは未来の僕らだ
踊るなら踊りたいように踊れ
人知れず潰えた古代の物語

記憶にとどめて許すよ
羊だけどね

(作詩作曲:かめ 編曲:マニアック京都)

飛行船

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飛行船超越空間
我足跡刻時刻紋
請通知到故郷遠
回想決不是虚言

あの日ぼくらは都会の隙間で
窮屈そうに浮かぶ飛行船を見たよ
限りない緑の限られた宇宙へ飛んで行くよ

同じ形のぼくらの影法師
巨大な力に今滅ぼされる
届かないぼくらの届かない指先
天を指した

かわりばんこに石ころ蹴って
帰って行った遠い坂道
記憶の片隅で数えてみたよ
道端に消えた石の数

飛べないぼくは見ている
天を貫く火の玉
ぼくは確かに見ている
砕けた石のかけらを

(作詩作曲:かめ 編曲:マニアック京都)

ピアニコ

子どもの影法師1

口笛を吹いて旅に出よう
真っ黒い顔したピアニコ
調子外れの手回しオルガン
東の国の歌を奏で始めたよ

砂漠の足跡のどが渇いても
きこりの切り株ひざをすりむいても
無邪気なその目に映る景色を
オレンジ色で埋め尽くしておくれ

ピアニコ ピアニコ
ピアニコ ピアニコ

ざわめく街の無口な午後は
水車小屋の前で待ち合わせ
背中に隠したピンクのガーベラ
花売り娘に恋をしたの?

ピアニコ ピアニコ
ピアニコ ピアニコ

淋しい夜がきて
また一人ぼっちになったとしても
たぶん大丈夫だから

ピアニコ 夢見飽きても
ピアニコ 醒めない夢を見せておくれ

(作詩作曲:かめ 編曲:マニアック京都)

名前をつけてくれ

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そんな言いわけが聞こえてるのならば
何にも言わずに抱きしめて
ああ 祝杯掲げその間違いもすべて
知らないふりをしていて欲しいのです

そういう憧れも
そういう諦めも
自由とか希望とか言ってみたかった

そういう泣き言も
そういう戸惑いも
斬り捨てご免の侍スピリット

空虚だな今何時?東京塔
空虚だな取ってつけた物言いは

そんな言いわけが聞こえてるのならば
何にも言わずに抱きしめて
ああ 祝杯掲げほかの誰より早く
聞きたい言葉をかけて欲しいのです

そういうわがままも
そういう憐憫も
誰かのせいにできたらいいのに

簡単だな消費するありがとう
ほんとの気持ちは届くかな

そんな悲しみもそんな優しさも
気づけぬほどに疲弊した未来
ああ そんな同情も受け入れてあげるよ
名前をつけてくれるのなら

まぶしいな月明かり常夜灯
明日はもっとマシな人間に

そんな悲しみもそんな優しさも
気づけぬほどに疲弊した未来
ああ そんな絶望も受け入れてあげるよ
名前をつけてくれるのなら
きみがどこの誰であろうと

(作詩作曲:かめ 編曲:マニアック京都)

時間泥棒

時計1

ぼくは逆立ちして
あの丘で見てたんだよ
水平線の向こうまで
地面の重さを感じたよ

失くした反対側の靴も
ひび割れた時計の写真も
北を指せない方位磁石も
捨てられないでいるぼくは

月の影に紛れて
ガラスの星屑かき集めた
小さなお部屋にいっぱいの
ガラクタだらけのぼくの町
満たすそばから崩れ落ちた
ぼくの宝物

架空の世界に棲むぼくが
はじめて手にした世界地図
印つけようとするけれど
自分の居場所がわからない

でたらめに鐘が鳴る夜
蛍光ペンを握りしめた
小熊のしっぽに誘われて
ひしゃげた星座を描くとき
着の身着のまま走り出した
丘の向こうへ

地球の傾きを調節する神様は
ぼくとの約束なんか守ってる暇はないよね
大切にしまってた砂時計逆さにして
溢れる砂を撒き散らすよ

ぼくの足跡が続く道
砂漠の風に今消えたよ
夕焼け空光る一番星
一番きれいに輝いたら
ぼくはきっと旅人になる
夜の魔法で
流星空に放つときの
約束だから

(作詩作曲:かめ 編曲:マニアック京都)